[学ぶ・知る]タダで土地を借りる『使用貸借』の残酷な結末
「父の親友のおじさんから『空いてる土地だからタダで使っていいよ』と言ってもらって、二十年前に家を建てたんです。でも先月おじさんが亡くなって……」 伊藤圭介(五十二歳)が弁護士の坂田先生を訪ねたのは、見知らぬ男性から「立ち退いてほしい」という手紙が届いた翌日だった。 手紙の差出人は、亡くなった土地所有者・長谷川武雄の息子・長谷川浩二(五十歳)。内容は簡潔だった。「父が生前に無償で貸していた土地について、私はその義務を引き継ぐ意思はありません。六ヶ月以内に建物を撤去して土地を返還してください」 圭介は青ざめた。子供が生まれ、この家で二十年を過ごしてきた。「でも私たちには家を建てる権利があるはずです」
使用貸借は「借地権」ではない
坂田先生は坦々と現実を告げた。 「圭介さん、まず確認しますが、これまで長谷川さんに地代を払ったことはありましたか」 「一切払っていません。タダで使わせてもらっていたんです」 「固定資産税の立替分や維持費程度を払っていた場合は?」 「それもありません。本当に完全に無償でした」 「では、これは法律上『使用貸借』にあたります。使用貸借は地代を払わない無償の借地関係です。借地借家法が適用される賃貸借(地代を払う通常の借地)とは根本的に異なります。借地借家法の強い保護——正当事由なく解約できない、法定更新がある——これらは一切適用されません」 圭介は言葉を失った。「では、立ち退かなければいけないんですか」 「残念ながら、法律上は非常に厳しい立場にあります」
使用貸借の終了と相続人への承継
「長谷川のおじさんとの約束は、息子さんには引き継がれないんですか」 「使用貸借は、貸主が死亡しても当然には終了しませんが、相続人が貸主の地位を引き継ぎます。ただし引き継いだ相続人は、使用貸借を解除する権限も持ちます。民法五九七条では、貸主はいつでも使用貸借を解約できると定めています」 「いつでも?期間の約束があっても?」 「使用目的や期間の定めがあれば、それが終わるまでは解除できないケースもあります。ただし今回は書面もなく、期間の定めも使用目的の定めも口約束のままです。この状況では、浩二さんからの解除申入れは法律上有効になりやすい」 圭介は額に手を当てた。二十年間、この土地が自分のものだと思って生きてきた。しかし現実は違った。
対抗できる「権利」がない
「建物の登記はされていますか」と坂田先生が聞いた。 「はい、二十年前に建てたときに登記しました」 「建物の登記があれば、通常の借地権(賃貸借)なら新しい地主にも対抗できます(借地借家法一〇条)。しかし使用貸借は借地借家法の対象外です。建物の登記があっても、使用貸借の解除には対抗できません。登記は意味をなさないんです」 「では、何もできないんですか」 「法的な対抗手段は非常に限られています。一つあるとすれば、長谷川のおじさんとの間で『相続人にも使用貸借を引き継がせる』という合意があったことを立証できれば、浩二さんに対して貸借の継続を求められる余地があります。しかしそれも書面がなければ証明は困難です」
誠意ある交渉という「最後の砦」
坂田先生は交渉の余地を探った。浩二は「立ち退け」と言っているが、即時退去を求めているわけではない。坂田先生が浩二の代理人に接触したところ、浩二の真意は「無償で貸し続ける義理はない」ということだった。 「地代を払って賃貸借契約に切り替えることを提案してみましょう」と坂田先生は言った。 圭介は浩二と直接会い、父親同士の長年の友情への感謝を伝えながら、相場の地代を払う正式な賃貸借契約への切り替えを申し出た。 浩二は一週間考えた末に応じた。「父の友人だということは知っている。父が亡くなっていきなり追い出すのも忍びなかった。地代をもらえるなら話は別だ」 新たな賃貸借契約が結ばれ、圭介家族はその家に住み続けることができた。しかし坂田先生はこう釘を刺した。 「今回は相手の方が誠実だったから解決できた。使用貸借はどれだけ長く住んでいても、法律上の保護はほぼゼロです。タダで土地を借りている方は、今すぐ地代を払って賃貸借に切り替えることを強くお勧めします」 無償の好意は美しい。しかし法律は、好意の上に建てた家を守ってはくれない。書面と地代——その二つがあって初めて、住む権利は法的に守られる。
[学びのボックス]使用貸借と借地権保護のポイント
| 使用貸借とは | 無償または固定資産税程度の負担で土地を借りる契約。借地借家法の保護対象外で、貸主からいつでも解除を申し入れられる(民法597条)。 |
| 賃貸借(借地権)との決定的な違い | 地代を払う賃貸借(借地権)には借地借家法の強力な保護がある。正当事由なく解約されない・法定更新がある。使用貸借にこれらは一切適用されない。 |
| 建物登記も効力なし | 通常の借地権なら建物登記で新地主に対抗できる(借地借家法10条)。しかし使用貸借は借地借家法の対象外のため、建物登記があっても解除の対抗手段にならない。 |
| 相続人への承継と解除 | 貸主が死亡しても使用貸借は当然終了しないが、相続人が貸主の地位を引き継ぎ、解除権も持つ。期間・目的の定めがない場合、相続人からの解除申入れは有効になりやすい。 |
| 今すぐ賃貸借に切り替える | 使用貸借状態にある場合は、早急に地主と協議して適正な地代を定めた賃貸借契約(書面)を結ぶことが唯一の対策。長年住んでいても法的保護はほぼゼロであることを認識する。 |




