借地権の歴史

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知ることでよりわかりやすくなる
借地権の歴史について
まとめました

SECTION01

借地権の歴史年表

借地権に関わる主な出来事を時系列でまとめました

SECTION02

借地権の歴史

借地権の歴史を知ることで理解を深めよう

不動産関連の中でも非常にトラブルが多い「借地権」。なぜ、これほどまでにトラブルが多いのでしょうか?

それは、土地を貸す側(地主様)と借りる側(借地人様)との間の「不公平感」が大きいことがひとつですが、その上に権利関係がややこしく、双方の解釈が異なる点も理由の一つと考えられます。

なぜこのような複雑な借地権というものが存在するのかを理解するには、借地権の歴史にふれることが理解を進める一歩となります。 ここでは、借地権の歴史について分かりやすくまとめました。借地権の全体を知るため一読してみてください。

江戸時代

江戸時代までは、領主が所有する土地を農村で集団で管理することが多く、領主以外には土地を所有する概念はあまりありませんでした。農民はあてがわれた土地の面積に応じて耕作し、年貢を納めていました。
また、田畑永代売買禁止令や分地制限令により、田畑の永年売買や利用方法は禁止・制限されており、土地の流動性は現在と比べると非常に低い時代でした。

借地権の歴史

1875年(明治8年)地租改正

土地制度が大きく変わったのは、明治時代になってからです。
当時、欧米列強はアジアの植民地獲得競争に乗り出しており、日本としては近代国家を建設することが急務でした。しかし、旧幕府は、歳入基盤が脆弱で慢性的な赤字を抱えており、近代産業と軍備を整えるための資金確保するには厳しい状況。

明治政府は、税収の安定のため税を米での納税から金納(貨幣で租税を納めること)とすることとし、地券(地名・地番・地種・地積・地価・租税額・土地所有者記載)を発行し土地所有者に納税させるようになったのです。
土地の私的所有権を認め、土地の売買を自由にするとともに税制も大きく変えました。
江戸時代まで収穫高の40~50%を”米”で納めていましたが、明治時代からは土地の値段の3%を”お金”で納めるようにしました。

これにより、政府は豊作・凶作に関係なく、安定した税収入を得ることができるようになりました。
しかし、政府は今までの納税額を減らさない方針で税率を設定したため、江戸時代と変わらない負担でした。
むしろ、課税対象が地価となったことで、納める納税者側は凶作や災害、米価変動のリスクがつきまとうことになりました。

しかし、地価を基準とした納税額はとても高く、負担に耐えかねて農地を売却したり、自作農から小作農へと転落する者が相次ぎました。それにより、広大な土地を持った大地主が多く誕生し、土地を手放して借地をする借地権者がおおく誕生することとなりました。

1896年(明治29年)民法制定

私人間の権利義務関係を規律する法「民法」により市民生活の基本ルールが定められました。
この民法の原則には「所有権絶対の原則」があり、所有権は絶対不可侵の権利とされる一方、借地人の権利は著しく弱いものとされました。
そして、この原則から「売買は賃貸借を破る」という法格言が生まれました。
これは、「地主(土地の所有者)」が変わったとき、「賃借人」は、「第三者(新しい土地の所有者)」に対して、借地権を対抗(法的に主張)できないことを意味します(簡単に言うと、賃借を契約した人(地主)が変わり、新しい地主に「出ていけ!」と言われたら出ていかなければならないのです)。
一応、借地人が借地権を登記すれば、対抗することはできますが、その際には地主の協力が必要不可欠(借地権の登記は、地主と借地人の共同申請となるため)しかし、特約(借地権の登記をする旨)がない限り、借地人は地主に登記を請求する権利がなく、実際のところ借地権を登記することはできませんでした。
そのため、地主(土地の所有者)が変わり、新しい地主から退去を求められれば、借地人は、退去せざるを得ない状態となりました。

このころ日清戦争・日露戦争による戦争需要などで産業が発達し都会に人が集中してくる中で、地価は高騰し、この原則は横暴な地主を誕生させることとなりました。

「地代を上げたい」と考えた地主は、この”借地人は第三者(新しい地主)に対抗できない”という民法の原則を利用。第三者に仮装譲渡(いわゆる地震売買)を行い、借地人に無理な地代の値上げを要求したり、立ち退きを迫ったりして社会問題になりました。

1909年(明治42年)建物保護に関する法律

民法の規定は、借地人の立場が弱く、あちこちで無理な地代の値上げや立ち退きが横行しました。
この状況を問題視した政府は、横暴な地主からの借地権者保護のため、「建物保護に関する法律」が制定され、借地人が所有する建物を登記すれば、第三者へ借地権が主張できる対抗要件を持つことが出来るようになりました。

借地権に関して、次のように規定しました。

建物の所有を目的とする地上権又は土地の賃借権に因り地上権者又は土地の賃借人か其の土地の上に登記したる建物を有するときは地上権又は土地の賃貸借は其の登記なきも之を以て第三者に対抗することを得

出典:建物保護ニ関スル法律第1条

これにより、「地主が協力してくれない」などで、土地の借地権が登記できていない場合でも、自身の建物の登記しておけば、第三者(新しい地主)に権利を主張できるようになり、簡単に土地を明け渡す必要がなくなりました。 ただし、これは、あくまでも建物の保護を念頭に入れた法律であり、借地人の権利が十分とは言えませんでした。

借地権の歴史

1921年(大正10年)借地法・借家法制定

民法の規定は、借地人の立場が弱く、あちこちで無理な地代の値上げや立ち退きが横行しました。
借地・借家に関する初めての法律の誕生です。借地権の目的(堅固・非堅固)、期間(借地権の長期的な存続期間が最短20年)が決められ、更に、借地権の売買・更新・建物の増改築・再建築時には地主の承諾を得る必要性が認められることとなりました。

この法律では、借地権に関して、次のように規定。

建物ノ賃貸借ハ其ノ登記ナキモ建物ノ引渡アリタルトキハ爾後其建物ニ付物権ヲ取得シタル者ニ対シ其ノ効力ヲ生ス

出典:借家法第1条

これにより、借地人が建物の「引渡」を受けて入居している事実があれば、登記がなくても第三者(新しい地主)に対抗できるものとなり、借地人の権利が確実なものとなりました。
さらに

  • 借地権の定義
  • 借地権の存続期間
  • 建物の朽廃・滅失
  • 建物買取請求権

についても定められ、仮に地主がこれらの定めに反する特約を結んだとしても、借地人に不利な場合は、無効となりました。
また、売買、増改築、建替時には、地主の承諾を得ることとされ、現在に通じる考え方が定まりました。

1924年(大正13年)借地借家臨時処理法

1923年に発生した関東大震災をきっかけに制定された法律です。
関東大震災でバラック生活を余儀なくされた被災者を救い、円滑な震災の復興を目指すため、バラック建物を借地権と認めることとしました。 このため、強制的に借地が発生し、関東では借地が急増することとなったのです。

借地権の歴史

1939年(昭和14年)地代家賃統制令

国は、国家総動員法に基づく勅令として地代家賃統制令が発行され地代家賃の統制を行いました。
戦争中によく行われる物価統制(価格の上限規制)となります。
1937年から始まった日中戦争では、戦争特需により都市部へ人口集中が加速、多くの財が戦争のために使われたため、土地価格・家賃・地代および生活必需品の価格が上昇しました。

しかし、このような状況では、国民の生活自体が成り立たなくなり、戦争遂行の障害となります。
そこで政府は、国民の生活を安定させるために、地代や家賃などを含めて、あらゆる価格に上限を設けました。
地代家賃統制令によって、地代や家賃に上限が設けられましたが、土地を借りる際の敷金や礼金は統制されませんでした。

そのため、特需による地価高騰下の中で適正な地代家賃の収受ができなくなった地主が、民法の所有権絶対の原則を盾に契約の更新を拒否して、借地権者や借家人の立退きをおこない追い出しました。
そして、借地人と契約を結び直し、新たに権利金(礼金など)を取って実質的に家賃を増額したり、あるいは土地そのものを売却したりして「地代家賃統制令」に対抗しました。
このとき、地震で建物が倒壊するように多くの建物の解体が行われたため、こういった土地取引を「地震売買」などといわれることとなり、社会問題となったのです。

1941年(昭和16年)借地法・借家法の改正

地代家賃統制令ができてから、契約拒否による借地人の追い出しが横行しました。
この状況を問題視した政府は、太平洋戦争の勃発のタイミングもあり借地法を改正。
正当事由、法定更新制度が制定され、これにより地主が契約の更新を拒絶したり、解約申し入れをするには正当事由(道理にかなった事実)が必要となり、借地人は契約期間が満了しても借地を明け渡さなくてよくなりました。
当時、正当事由の定義は曖昧で、裁判所の判断に委ねられていましたが、借地上に建物が存在する限り、借地権の更新が原則とされました。

借地人の保護が強固になり、地主から契約更新を拒絶することはほぼできず、地主にはとって借地は一度貸したら返ってこない土地になりました。

借地権の歴史

1966年(昭和41年)借地法・借家法の改正

1941年(昭和16年) 借地法の改正により、借地人は安心してその土地に住み続けられるようになりました。
しかし、借地にともなう制約は変わらずで、借地上にある建物の売買 増改築 建替の際、地主の承諾が必要ですが、これを承諾しない地主が多く、借地権者とトラブルとなっていました。
そこで、地主に代わり裁判所が承諾することが出来る「借地非訟事件手続き」が導入されました。

これにより、借地人が借地上にある建物の売買 増改築 建替等を行いたい場合、これを地主に拒否されたとしても、裁判所に認められれば、地主に代わって「建物の売却が許可される」ようになりました。
これにより、一度貸した土地を地主が取り戻すことは、決定的に難しくなることとなったのです。

1992年(平成4年)借地借家法(新法)の制定

昭和60年代から平成2年頃まで続いたバブル景気のもと、各地で再開発が進む中、旧借地法・借家法の下での地主と借地権者との不和が露呈し、もはや時代遅れになった借地権や借家に関わる法律の改正が行われました。
「借地法」「借家法」「建物保護に関する法律」の3つを廃止。

新しく借地借家法(新法)が制定され、新たに期間の定めによって契約期間が必ず終了し地主に返還する「定期借地権」が創設され、地主も借地権者も土地を計画的に利用できるようにしました。
また、借地権の存続期間の変更、正当事由の明確化、加えて地主による契約解除や更新拒絶の正当事由の中に、相応の対価を盛り込んだことで、再開発や土地の活性化がしやすくなったのです。

度重なる「借地法」の改正により、借地人の権利保護に重点が置かれすぎ、地主にとってはデメリットの多い法律となっておりましたが、これにより借地人に傾倒しすぎていた借地権が是正され、地主が土地を貸しやすくなりました。

借地権の歴史

借地権の歴史を理解し、問題解決への一助に

借地権が問題を残したままになる理由として借地借家法(新法)成立後も残る、旧法下で交わされた借地契約があります。
新法施行前(1992年(平成4年)8月1日以前)に結ばれた契約については、更新後も旧法が適用されるため、それが更新される限り、新法に切り換えることはできません。
借地契約は20年という長い期間であるうえ、地主さんと借地人さんの双方の意向が一致しない限り解消が難しく、もめた場合には自動更新されるということもあり、借地借家法制定から30年近く経ってもなお、多くの旧法での借地が存在しています。

今でこそ「借地は貸したら返ってこない」と言われていますが、歴史を振り返ると地主が圧倒的に立場が強く、借地人は随分苦労していました。そういった背景があり、法律も借地人保護に傾いて行きました。そして平成4年の借地借家法制定で、ようやく双方にとってバランス良い形に落ち着き、今日に至ります。こうした背景や流れを知る事で、借地に対するご理解が少しでも深まれば幸いです。

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