[学ぶ・知る]『建物買取請求権』を使わせないための地主の戦略
「先生、これは無効なんですか。ちゃんと契約書に書いてもらったのに……」 代々の地主業を継いだ丸山敬三(五十八歳)が弁護士の斎藤先生の前に広げたのは、三十年前に締結された土地賃貸借契約書だった。 その第八条にはこう書かれていた。「借地人は、本契約終了時において、建物買取請求権を一切行使しないものとする」 三年前から始まった立退き交渉。借地契約の期間が満了し、更新を行わない方針で臨んでいた敬三に対し、借地人の田原和彦(七十三歳)が突然主張を変えた。「建物を時価で買い取ってほしい」——その権利を使うというのだ。 「でも特約があるじゃないですか。買取請求権を放棄するって書いてある」と敬三は言った。「放棄の特約」は法的に無効
斎藤先生は静かに答えた。「残念ながら、その特約は法律上無効です」 「どういうことですか。サインしてもらっているのに」 「建物買取請求権は、借地人を守るための強行規定です(借地借家法一三条)。強行規定とは、当事者間の合意によっても排除できない法律のルールのことです。借地借家法一六条は、この権利に反する特約で借地人に不利なものは無効と明記しています。三十年前の契約書の一文は、初めから効力がなかった」 敬三は椅子の背もたれに寄りかかった。「つまり、三十年間守られていると思っていた特約が、ずっと意味のない紙だったということですか」 「そういうことになります」建物買取請求権の「威力」
「では、田原さんに言われた通り、建物を買い取らないといけないんですか」 「田原さんが建物買取請求権を行使すると、地主と借地人の間に売買契約が成立したとみなされます(借地借家法一三条一項)。地主が『買いたくない』と言っても、法律上は購入が義務付けられます。買取価格は建物の時価です」 「時価というのはいくらですか」 「築三十年以上の木造住宅ですから、建物単体の価値は低いでしょう。ただ、付着した内装・設備・外構工事なども含まれることがあります。双方が合意できなければ最終的には裁判所が決めます」 敬三は試算した。仮に五百万円でも、支払いは痛い。しかし抵抗のしようがなかった。「最初から使うべきだった」手法
「先生、これからこの土地を別の人に貸す場合、どうすれば建物買取請求権を排除できますか」 「事業用定期借地権です。専ら事業用の建物の所有を目的とする定期借地契約では、契約で建物買取請求権を排除できると法律で明記されています(借地借家法二三条二項)。また一般定期借地権でも、同様の排除が可能です。いずれも公正証書での締結が必要ですが、こちらは有効な特約として機能します」 「最初からそれにしておけばよかった……」 「普通借地権で土地を貸す場合、建物買取請求権への備えは難しい。あとは価格交渉で折り合いをつけるか、建物買取に備えた資金の準備が現実的な対策です」「書けば守られる」は思い込み
田原和彦との最終的な合意は、建物の買取価格三百五十万円だった。敬三はそれを支払い、ようやく土地を取り戻した。 「契約書に書けば守られると思っていた。でも強行規定というものがあるとは知らなかった」と敬三は斎藤先生に言った。 「不動産の契約書はすべての条項が有効とは限りません。特に借地借家法は借地人保護の色が強く、借地人に不利な特約は軒並み無効になります。契約を結ぶ前に弁護士にチェックしてもらうことが、最大のリスク管理です」 書いてあれば安心——その思い込みが、最も危険な落とし穴だ。地主として土地を守るためには、有効な法律の枠組みを正しく選ぶことが唯一の防衛策となる。学びのボックス:建物買取請求権と地主の正しい対策
| 建物買取請求権とは | 借地契約終了時に、借地人が地主に対して建物を時価で買い取るよう請求できる権利(借地借家法13条)。地主が拒否しても、請求によって売買契約が成立したとみなされる強力な権利。 |
| 「放棄特約」は無効になる | 建物買取請求権は借地人保護のための強行規定。契約書に「借地人は建物買取請求権を放棄する」という特約を盛り込んでも、借地人に不利な特約として無効になる(借地借家法16条)。 |
| 建物買取請求権が発生しないケース | ①定期借地権(一般定期借地・事業用定期借地)の場合は建物買取請求権を排除できる特約が有効(借地借家法22条・23条)。②借地人の債務不履行による解除の場合は発生しない。 |
| 地主が取るべき正しい対策 | 更地返還を確実にするには:①事業用定期借地権(公正証書)を活用する、②普通借地権では建物買取に備えた資金準備や保険の利用を検討する、③解体費用負担を別途合意する覚書を結ぶ(有効性は限定的)。 |
| 弁護士への事前相談の重要性/strong> | 契約書の特約が有効か無効かは専門家でなければ判断が難しい。「これを入れておけば大丈夫」という思い込みで対策をとると、いざというときに無効になるリスクがある。契約前の法的チェックが不可欠。 |




