『建物買取請求権』を使われた地主の逆襲
杉本正彦は、先代から受け継いだ底地の契約更新時期を前に、頭を悩ませていた。借地人の田村さんが建てた木造アパートは築五十年を超え、老朽化が進んでいた。正彦としては、この機会に土地を有効活用したいという思いがあり、契約の更新を拒絶する方向で検討を進めていた。周辺では新しいマンションの建設が相次いでおり、正彦の土地だけが取り残されているような焦りもあった。
弁護士に相談すると、契約更新の拒絶には「正当事由」が必要であることを改めて説明された。地主・借地人双方の土地使用の必要性、これまでの経緯、立ち退き料の提供などを総合的に考慮して判断されるという。正彦は、老朽化した建物の状況や、自身の土地活用の必要性を理由に、一定の立ち退き料を提示したうえで更新拒絶の通知を田村さんに送った。
ところが、田村さんからの返答は正彦の想定とは違う方向に進んだ。「立ち退くのではなく、建物買取請求権を行使します」という内容証明が届いたのだ。弁護士に確認すると、「借地借家法では、借地契約が期間満了で終了する際、借地人は地主に対して、建物を時価で買い取るよう請求できる権利が認められています。これは地主が更新を拒絶した場合、借地人側から一方的に行使できる強力な権利です」との説明を受けた。
正彦は困惑した。老朽化した建物を、なぜ地主が買い取らなければならないのか、直感的には納得しがたかった。しかし弁護士は続けて、「建物買取請求権が行使されると、地主と借地人の間で自動的に建物の売買契約が成立したのと同じ効果が生じます。地主側に拒否権はなく、あとは時価をいくらと見るかの交渉になります」と説明した。この権利は借地人の投下資本を回収させるための制度であり、地主の都合だけで契約を終わらせることへの一種の歯止めになっているのだという。裁判所に価格確認を求める訴訟に発展するケースもあると聞き、正彦はできる限り早期の合意を目指すことにした。
正彦は不動産鑑定士に依頼し、建物の時価査定を行った。築五十年を超える木造アパートは、建物としての経済的価値はほとんど残っておらず、老朽化や修繕の必要性を考慮すると、査定額は当初の田村さんの主張よりもかなり低い水準にとどまった。一方で、建物が古くても、賃貸中の入居者がいる限り、賃料収益をもたらす収益性を完全にゼロとは評価できない部分もあり、鑑定士との協議を重ねながら、双方が納得できる査定根拠を積み上げていった。田村さんの弁護士からも独自の査定資料が提示され、双方の数字をすり合わせる作業にはかなりの時間を要した。
正彦は査定結果をもとに田村さんと交渉を重ね、最終的に鑑定額に近い金額で建物を買い取ることで合意に至った。当初提示していた立ち退き料よりは高くついたものの、正彦は老朽化した建物を含めて土地を一体で取得できたことで、更地として活用する計画をスムーズに進められるようになった。買取代金の支払いと建物の引き渡しは二か月後に設定し、田村さんはその間に転居先を探すことになった。
半年後、正彦は取得した土地に新しい賃貸マンションの建設に着手した。田村さんとはその後も年賀状のやり取りが続いており、更地になった土地を見に来た際には「ここに新しい建物が建つのを見られて感慨深い」と声をかけてくれたという。次に別の底地で同じような契約更新の時期を迎えたとき、正彦は今度こそ早い段階から不動産鑑定士に建物の時価査定を依頼し、余裕を持った交渉スケジュールを組むつもりでいる。
学びのボックス
| 建物買取請求権とは | 借地借家法13条により、契約期間満了で更新がない場合、借地人が地主に対し、土地上の建物を時価で買い取るよう請求できる権利。 |
| 正当事由と立ち退き料 | 契約更新の拒絶には正当事由が必要で、立ち退き料の提供もその判断要素の一つになる。 |
| 地主に拒否権はない | 買取請求権が行使されると、地主・借地人間で自動的に建物の売買契約が成立したのと同じ効果が生じ、地主は拒否できない。 |
| 時価の算定方法 | 老朽化の程度、修繕の必要性、賃貸収益性などを踏まえ、不動産鑑定士による査定を通じて時価を確定するのが実務上の一般的な進め方。 |
| 交渉がまとまらない場合 | 価格について合意できない場合、裁判所に価格確認を求める訴訟に発展することもある。 |




