『借地権の生前贈与』名義書換料と贈与税
「地主さんへの名義書換料さえ払えば、借地権はもう大輔のものだ」父・田中誠一は78歳。40年前からこの土地を借りて自宅を構え、家族と暮らしてきた。最近は足腰も弱り、家を継ぐ長男の大輔に、生きているうちに借地権の名義を移しておきたいと考えるようになった。相続が発生してからでは、他の相続人との間で遺産分割が揉める可能性もあると、知人から聞いていたからだ。
大輔と誠一は地主の坂本家を訪ね、名義書換について相談した。坂本家は「承諾はしますが、名義書換料をいただきます」と応じた。相場に従い、借地権価格のおおむね1割にあたる金額を大輔が支払うことで合意し、賃貸借契約書の名義は無事に誠一から大輔へと書き換えられた。「これで手続きは全部終わったな」誠一はほっとした様子で、大輔もひとまず肩の荷が下りた気持ちになっていた。
ところが数週間後、大輔が念のため知人の税理士に世間話のつもりで報告したところ、思いがけない指摘を受けた。「地主さんへの名義書換料の支払いと、税務署への届出は、まったく別の話ですよ」
税理士の説明はこうだった。借地権は財産的価値のある権利であり、相続税評価上は路線価に借地権割合を掛けて算出される。今回、大輔は父から対価を支払わずにこの借地権を受け取った形になっている。地主への名義書換料はあくまで地主の承諾を得るための費用であって、父から子への財産移転そのものへの対価にはならない。つまり、この借地権の評価額に相当する分は、税務署から「借地権の贈与」とみなされ、贈与税の課税対象になる可能性が高いという。
大輔は青ざめた。自宅の立つ土地の借地権評価額は決して小さくなく、通常の贈与税率で計算すればかなりの額にのぼる。「知らなかったでは済まないですよ。贈与税の申告期限は、贈与を受けた年の翌年2月1日から3月15日までです」税理士の言葉に、誠一と大輔は顔を見合わせた。まさか名義変更の手続きだけで、これほどの税負担につながるとは、二人とも想像していなかったのだ。
税理士が示した選択肢は主に二つだった。一つは、大輔が借地権の評価額に見合う対価を父にきちんと支払い、売買として処理する方法。もう一つは、相続時精算課税制度を選択し、贈与税の申告と合わせて「相続時精算課税選択届出書」を税務署へ提出する方法だ。この制度を使えば、2,500万円の特別控除の範囲内で当面の贈与税負担を抑えられ、実際の税負担は将来、誠一の相続が発生した時点で他の相続財産とあわせて精算される。
大輔と誠一は話し合い、まとまった現金をすぐに用意するのは難しいことから、相続時精算課税制度を選ぶことにした。税理士のサポートを受けながら、期限内に贈与税の申告書と選択届出書を税務署へ提出。あわせて、地主との間で交わした名義書換の承諾書も、将来の紛争を防ぐため大切に保管することにした。
手続きをすべて終えたあと、誠一は大輔に「名義を変えるだけでこんなに複雑だとは思わなかったよ」としみじみ語った。大輔も、地主とのやり取りだけに気を取られ、税務署への対応を後回しにしていた自分を振り返り、「早めに専門家へ相談してよかった」と胸をなでおろした。
「名義書換料を払っただけで安心していたら、後で重い贈与税の負担が待っていたかもしれない」大輔はそう振り返る。地主への手続きと税務署への手続きはまったくの別物であり、どちらか一方だけを済ませても安心はできない。この当たり前のようで見落としがちな事実を、大輔は身をもって学んだのだった。
学びのボックス
| 名義書換料とは | 借地権者が変わる際に地主の承諾を得るために支払う費用。相場は借地権価格のおおむね1割程度とされることが多い |
| 名義書換料だけでは不十分 | 地主への名義書換料はあくまで地主の承諾を得るための対価であり、父から子への借地権の財産的価値の移転そのものへの対価にはならない |
| 借地権の評価方法 | 相続税・贈与税の計算上、借地権の価額は路線価に借地権割合を掛けて算出される |
| 無償での名義変更は贈与税の対象 | 対価を支払わずに借地権の名義を移すと、その評価額相当分が「借地権の贈与」とみなされ、贈与税が課される可能性がある |
| 対応策 | 評価額に見合う対価を支払い売買として処理する方法、または「相続時精算課税選択届出書」を贈与税申告とあわせて提出し、2,500万円の特別控除内で将来の相続時に精算する方法がある |




