[学ぶ・知る]借地権付き建物の遺産分割協議がまとまらない
「お母さんと一緒に三十年暮らしてきた家を手放すつもりはありません。私がここを守ります」 母・坂本照子が他界して二ヶ月。長女の坂本由美(五十四歳)は、相続人間の話し合いの場で毅然とそう言った。 問題は、長男の坂本健一(五十七歳)が首を縦に振らないことだった。 「由美が家を引き継ぐのは構わない。でも借地権にだって財産としての価値がある。相続分に相当する現金を払ってくれなければ、判を押さない」 由美には手元にそれほどの資金がない。しかし何もせずにいれば、協議は永遠に終わらない。
借地権は「立派な相続財産」
由美が司法書士の野口先生に相談すると、先生はまず借地権の法的な位置づけを確認した。 「借地権は土地を借りて建物を所有・使用できる権利です。相続財産として当然に引き継がれます。健一さんの言う通り、財産価値があります」 「では、その価値はどうやって計算するんですか」 「一般的には、国税庁の路線価を使って算出します。その土地の路線価×面積×借地権割合——この計算式で相続税評価額が出ます。今回の実家周辺の借地権割合は六〇%です。路線価から計算すると、借地権の評価額はおよそ千二百万円になります」 健一の法定相続分は二分の一。つまり六百万円相当の取り分を求めていることになる。
「鑑定評価」と「地主への配慮」という現実
「ただし」と野口先生は続けた。「相続税評価額はあくまで税金計算のための数字です。実際に借地権を売却しようとすると、地主の承諾が必要になり、承諾料もかかる。買い手も限られるため、市場での実勢価格は評価額より低くなることが多い」 「つまり、千二百万円丸ごとの価値があるわけではない、ということですか」 「不動産鑑定士に依頼すれば実態に即した鑑定評価額が出ます。また、借地権の名義変更には地主の承諾が必要です。今回は相続なので承諾自体は不要ですが、地主の坂田さんとの関係を良好に保つことも、長期的に見て重要な要素です」 由美と健一は合意のうえで不動産鑑定士に鑑定を依頼した。出てきた評価額は九百万円——相続税評価額より三百万円低い数字だった。
地主への挨拶という「一手間」
「由美さん、鑑定が終わったら、地主の坂田さんへ挨拶に行くことをお勧めします」と野口先生は言った。 「相続で借地権を引き継ぐのに地主の承諾は不要ですが、誰が借地権者になったかを地主に伝えることは実務上の礼儀です。関係が続く限り、誠意を見せておくことが後々の交渉をスムーズにします」 由美は翌週、野口先生と一緒に坂田家を訪ねた。事情を説明し、今後も地代を継続して支払う意思を伝えると、坂田氏は「お母さんには長いお付き合いをいただいた。由美さんにも引き続きよろしくお願いします」と応じてくれた。
代償分割という着地点
鑑定評価額九百万円をもとに、健一への代償金は四百五十万円(二分の一)で再交渉した。 由美は自分の預金を取り崩し、さらに健一に渡る予定の母の預金を先に受け取る形で不足分を補った。遺産分割協議書が完成し、健一が署名捺印したのは、母の一周忌が近づいた頃だった。 「最初から鑑定を頼んでいれば、もっと早く終わったと思う」と由美は野口先生に言った。 「路線価の評価額だけで交渉すると、双方が有利な数字を持ち寄って平行線になりやすい。客観的な鑑定評価が、一番の交渉の落とし所になります」 借地権は目に見えない権利だが、相続の場では確かな財産だ。その価値を正しく把握し、地主との関係を丁寧に保ちながら交渉する——それが、借地権付き住宅の遺産分割を円満に解決する王道だ。
[学びのボックス]借地権の遺産分割と評価のポイント
| 借地権は相続財産 | 借地権は建物とともに相続財産として引き継がれる。地主の承諾は不要だが、誰が引き継いだかを地主に通知することが実務上のマナー。 |
| 相続税評価額の計算式 | 路線価×面積×借地権割合(地域によって30〜90%)で算出。国税庁の路線価図で借地権割合(A〜Gのアルファベット)を確認できる。 |
| 実勢価格と評価額のズレ | 借地権の売却には地主の承諾と承諾料が必要で買い手も限られるため、実際の市場価格(実勢価格)は相続税評価額より低くなることが多い。 |
| 不動産鑑定士の活用 | 遺産分割の代償金算定には、路線価ではなく不動産鑑定士による鑑定評価額を使うと双方が納得しやすい。鑑定評価書は調停・審判でも証拠として使える。 |
| 地主との関係を保つ重要性 | 相続後も地代の支払いや将来の建替え・売却時に地主との協力が必要になる。相続発生後は早めに地主へ挨拶し、借地権承継の事実を伝えておくことが望ましい。 |




