『地代の自動改定条項』スライド制の落とし穴
江藤秀樹は、父から底地を相続した際、契約書の中にある一風変わった特約に気づいた。「地代は三年ごとに、公表される消費者物価指数の変動に応じて自動的に改定する」というスライド制の条項だった。父の代に、地代改定のたびに毎回交渉するのが面倒だという理由で、借地人との間で取り決められたものだという。長年、物価が緩やかにしか動かない時期が続いていたこともあり、この条項が実際に問題になったことは一度もなかった。秀樹自身も、相続当初は「よくできた合理的な仕組みだ」と好意的に受け止めていた。
ところが秀樹が底地を引き継いで数年後、世界的な資源高とインフレが重なり、消費者物価指数が短期間で大きく上昇する事態が起きた。秀樹が契約書の計算式どおりに地代を算出すると、現行の地代から一気に五割近く増額される結果になった。秀樹は「契約書に書いてあるとおりなのだから、当然この金額を払ってもらえるはずだ」と考え、借地人の田辺さんに通知を送った。
ところが田辺さんは、この増額に強く反発した。「こんな急激な値上げは受け入れられない。物価指数に連動するとはいえ、ここまで極端な変動を織り込んで契約したわけじゃない」というのが田辺さんの言い分だった。話し合いは平行線をたどり、秀樹は弁護士に相談することにした。
弁護士は、「スライド条項自体は有効な特約として扱われますが、経済情勢の激変によって、条項どおりの改定額が著しく不合理な結果を招く場合には、そのまま適用されないことがあります」と説明した。「借地借家法十一条の地代増減額請求権は強行法規であり、当事者間で自動改定の特約を結んでいたとしても、この権利を完全に排除することはできないというのが、裁判例の傾向です。つまり、スライド条項があっても、いずれかの当事者が『この金額は不相当だ』と主張して、あらためて増減額請求をする余地は残っています」。
弁護士はさらに、「過去の裁判例でも、急激な経済変動があった局面では、契約書の計算式を機械的に適用するのではなく、公租公課の負担や近隣相場との比較なども踏まえて、実質的に相当な地代水準を個別に判断する傾向が見られます」と付け加えた。秀樹は、契約書があるからといって、必ずしもそのとおりの金額を強制できるわけではないという現実を、初めて知ることになった。良かれと思って導入されていたスライド条項が、かえって紛争の火種になり得ることに、秀樹は複雑な思いを抱いた。
秀樹と田辺さんは、それぞれの弁護士を交えて改めて協議し、当初の計算式による増額幅を圧縮し、段階的に地代を引き上げていく形で合意した。急激な一括値上げではなく、二年ほどかけて段階的に目標水準へ近づけていく方式は、田辺さんにとっても受け入れやすいものだったようだ。合意内容は、今後も同様の急変動が起きた場合の対応方法も含めて、改めて覚書として書面化した。
この経験を通じて秀樹は、スライド条項のような自動改定の仕組みも、経済情勢が想定を超えて動いたときには万能ではないことを学んだ。次に契約を見直す機会があれば、上限と下限を設けた改定幅の取り決めや、著しい経済変動時には協議によって見直せる旨の条項も、あわせて盛り込んでおきたいと考えている。田辺さんとの関係も、丁寧な話し合いを重ねたことで、以前と変わらず良好なまま保たれている。契約書の一文を過信せず、状況に応じて柔軟に話し合う姿勢こそが、長く続く借地関係を支える土台なのだと、秀樹は実感している。
学びのボックス
| スライド条項とは | 地代を一定期間ごとに物価指数等の指標に連動させて自動改定する特約。改定交渉の手間を省く目的で結ばれることが多い。 |
| 借地借家法11条は強行法規 | 地代増減額請求権は強行法規であり、自動改定特約があっても当事者の増減額請求権を完全に排除することはできない。 |
| 経済情勢の激変時のリスク | 想定を超える急激な物価変動があった場合、スライド条項どおりの機械的な適用は著しく不合理な結果を招くことがあり、適用が制限される可能性がある。 |
| 裁判所の判断傾向 | 契約書の計算式を機械的に適用せず、公租公課や近隣相場等も踏まえて実質的に相当な地代水準を個別に判断する傾向がある。 |
| 実務での特約の結び方 | 改定幅に上限・下限を設けたり、著しい経済変動時には協議で見直せる条項を盛り込んでおくことで、将来の紛争を防ぎやすくなる。 |




