ものがたりで底地借地を学ぶ知るシリーズ
森田雅子(61歳)が実家を整理し始めたのは、夫の定年退職をきっかけにしてのことだった。
子どもたちはとっくに独立し、実家は空き家になって三年が経つ。毎年の固定資産税だけがかかり続け、管理のために月に一度様子を見に来るのが精一杯だった。「そろそろ売ろうか」と夫の浩二(63歳)と話し合い、知り合いの紹介で不動産会社に査定を依頼した。担当者が現地を確認しに来た日、雅子は午後から半日かけて立ち会った。
確認作業の途中、担当者がふと口を開いた。「隣の土地との境界は、きちんと確認されていますか?」
雅子は首をかしげた。「特に問題はないと思いますが……」
担当者は「念のため登記簿を確認させてください」と言い、調査に入った。数日後に連絡が来た。「実は、お父様の土地の一部に借地権が設定されていることがわかりました。隣の方に敷地の一角を貸されていたようです」
雅子は絶句した。父は十年前に他界している。そんな話は一度も聞いたことがなかった。
詳しく調べると、実家の敷地の端、わずか数坪分が隣の山田さんに貸されており、山田さんの父親の代から続く古い借地契約書が残っていた。その土地の上に、山田さん一家は古い物置を建てて長年使い続けていた。雅子が子どもの頃から当然のようにそこにあった物置が、実は借地の上に建っていたのだ。
「これはどういう状態なんですか」と雅子は担当者に聞いた。
「地主が土地を貸して、借地人が建物を建てて使っている状態です。地主側が持つ権利を底地、借地人が持つ使用の権利を借地権といいます。この二つの権利が分かれていると、土地を完全な所有権として売るためには、どちらかが相手の権利を買い取るか、合意のもとで借地契約を終了させる必要があります」
「借地権付きのまま売ることはできないんですか」
「できないわけではありませんが、買い手が大きく限られます。主に投資目的の購入者が対象となり、一般の方が住宅用に購入することはほとんどありません。価格も通常の土地より大幅に下がりますので、契約を整理してから売るほうが最終的には有利になることが多いです」
雅子は、まず山田さんに事情を話しに行くことにした。山田さんの奥様(68歳)は最初こそ驚いた様子だったが、「主人も亡くなりましたし、物置も古くなっています。返すことは構いません」と言ってくれた。息子さんも「母だけでは決められないと思っていたので、話してもらってよかった」と快く応じてくれた。
合意解除の手続きには数ヶ月を要した。借地契約を正式に終了させ、物置を撤去してもらった後、更地で土地の返還を受けることができた。その後、実家は予定通り売却へと進んだ。
「不動産って、持っているだけでも知識が必要なんだね」と浩二がしみじみ言った。
「本当に。売却を急いで進めていたら、後から大変なことになっていたかもしれない」と雅子は答えた。
親から受け継いだ土地には、思わぬ歴史が眠っていることがある。古い契約書や登記の内容は、売ることを決めてからではなく、持っている間に一度確認しておくことが後悔しないための第一歩だ。早めに専門家に相談するだけで、選択肢は大きく広がる。雅子はそのことを今回身をもって学んだ。そして同時に、この土地を長年守り続けてきた父の歴史を、あらためて静かに感じた。
【この記事で学べること】
売却前に借地権の有無を確認しないと、手続きが大幅に遅れる場合があります。親から受け継いだ土地は、登記簿と古い契約書を早めに確認しておくことが重要です。




