『借地権付き建物の配偶者居住権』二重の権利が設定された場合の相続と処分
森川拓也は五十歳。先月、八十三歳の父が亡くなった。実家は借地の上に建つ一戸建てで、地主に払う地代は月四万円。父と母の美代子は、四十年以上、ここで暮らしてきた。母は七十八歳。「この家を出たくない」と、涙ぐんで言った。庭の花も、父と二人で育ててきたものだった。
遺産分割の話し合いで、拓也は、司法書士から配偶者居住権という制度を教えてもらった。配偶者が、亡くなった人の建物に、そのまま住み続けられる権利だ。建物の所有権は、ほかの相続人が取得する。母は居住権を取得し、拓也は建物と、その敷地を使う借地権を相続することで、話がまとまった。
借地権は相続で引き継げる。相続は、売買のような譲渡とは違うため、地主の承諾を得る必要はないと考えられている。ただ、司法書士は、「地主さんには、早めに事情を伝えておくのが無難です」と助言した。拓也は、地主の稲垣さんに連絡し、建物の名義と借地人が変わること、母が住み続けることを説明した。稲垣さんは、快く理解してくれた。
ところが、住み始めて間もなく、問題が起きた。台所の水回りが壊れ、屋根からも雨漏りが見つかった。母は、「修理は、建物の持ち主の拓也が出すものでしょう」と言った。拓也は、「住んでいるのは、母さんだ」と、納得がいかなかった。さらに地代についても、どちらが払うのかで、言い合いになった。これまで、父が一手に引き受けていた支払いだったため、誰も、きちんと決めていなかったのだ。
司法書士は、整理して説明した。配偶者居住権を持つ人は、建物の通常の維持や修繕にかかる費用や、固定資産税などの負担を、原則として担うと考えられている。一方で、大規模な修繕や、建物の構造を大きく変える工事は、所有者との協議が必要になる場面もある。
問題は、地代だ。地主との関係で、地代を払う義務があるのは、借地人である拓也だ。母は、地主に対して直接の借地人ではない。けれども、実際に建物を使っているのは母である。地代まで含めて、どちらがどのくらい負担するかは、法律で一律に決まるわけではなく、話し合いで決めておく必要がある。
さらに、司法書士は、重要な点を指摘した。地代を滞納すれば、地主から借地契約を解除されるおそれがある。借地権がなくなれば、建物を使う権利そのものが危うくなり、母の居住権にも影響する。だから、地代の支払いは、確実に続けなければならない。拓也は、自分の責任の重さを、あらためて感じた。毎月の引落し口座も、拓也の口座に切り替えた。
拓也と母は、覚書を作った。地代は、これまでどおり拓也が地主へ支払う。母は、建物の日常的な修繕費と、建物の固定資産税に相当する額を負担する。屋根や外壁などの大きな工事は、二人で相談して決める。そのうえで、配偶者居住権の登記と、建物の相続登記も済ませた。
稲垣さんには、覚書の内容も報告した。「地代さえきちんと入るなら、うちは構いません」と言ってもらえた。拓也は、ほっと胸をなで下ろした。ただ、この権利には制約もある。配偶者居住権は、他人に譲ることができない。母が亡くなれば、居住権は消えて、拓也が建物を自由に使える。拓也が将来、借地権を売りたいときは、居住権の扱いも考える必要がある。
拓也は今、こう話している。権利が二重に重なった家は、費用と責任を、最初に家族で決めておくのが大切だった。地主への連絡も、早いほうがよい。迷ったときは、司法書士や弁護士に相談することだ、と。
学びのボックス
| 配偶者居住権とは | 亡くなった人の建物に、配偶者が引き続き住み続けられる権利。建物の所有権は別の相続人が取得し、居住権は譲渡できない。 |
| 借地権の相続 | 借地権は相続で引き継げる。相続は譲渡と異なり地主の承諾は不要と考えられているが、早めに事情を伝えておくと無難。 |
| 費用の負担 | 居住権者は、建物の通常の維持・修繕費や固定資産税などを負担すると考えられている。大規模な工事は所有者と協議が必要になる場面もある。 |
| 地代の支払責任 | 地主に対する支払義務は借地人にある。家族内の負担割合は法律で一律には決まらないため、覚書などで取り決めておく。 |
| 滞納のリスクと将来 | 地代を滞納すれば、借地契約を解除されるおそれがあり、居住権にも影響する。居住権は配偶者の死亡で消え、借地権を売る際は調整も必要。 |




