『底地と借地権の信託』高齢地主の認知症に備える信託スキーム
高橋正三は、八十二歳。先代から受け継いだ約百坪の底地を、三人の借地人に貸している。地代は三件合わせて月約二十万円。年金と合わせた、大切な生活の糧だ。借地人とは、先代からの付き合いで、顔を合わせれば世間話をする間柄だった。同じ町の地主仲間だった友人が、先日、認知症と診断された。その話を聞いて、正三は考え込んだ。
友人の底地では、借地人が建物の建替えを計画していた。ところが、地主本人に、承諾書へ判を押してもらえない。家族が代わりに署名しても、本人の意思が確認できなければ、効力を疑われる。借地人は、住宅ローンの手続きが止まり、建替えの時期を逃してしまった。話を聞いた正三は、人ごととは思えなかった。借地人が肩を落として帰る姿を、友人の家族は、ただ見ているしかなかったという。
正三は、長男の浩一に、思いを打ち明けた。「わしが認知症になったら、借地人さんに迷惑をかける」。浩一は、司法書士に相談し、家族信託という方法を教えてもらった。成年後見制度という方法もあるが、底地の売却や活用には制約が多く、柔軟に動きにくいと聞いた。地主が元気なうちに、信頼できる家族に底地の管理を託す仕組みだという。
家族信託では、財産を託す人を委託者、託される人を受託者、利益を受ける人を受益者と呼ぶ。今回は、委託者が正三、受託者が浩一、受益者が正三だ。信託契約を結び、底地の名義を浩一に移して、信託の登記をする。以後、地代の受領や、更新の契約、建替えの承諾などは、受託者の浩一が行うことになる。
ただし、どこまで任せるかは、契約書に細かく書く必要がある。地代の受領や管理に加えて、更新契約の締結、建替えや増改築の承諾、承諾料の受領まで、権限を明記する。底地の売却を認めるかどうかも、決めておく。権限が曖昧だと、借地人との手続きが、また止まってしまうからだ。
また、浩一は、信託された財産を、自分の財産と分けて管理しなければならない。地代を入れる専用の口座を作り、帳簿もつける。正三の生活費は、そこから渡す。正三は、次男の健二にも事情を話し、浩一だけが得をするのではないと、きちんと伝えた。そのうえで、契約の内容を、見てもらった。将来、相続のときに揉めないよう、契約の内容を全員で共有しておくことが、大切だと考えたからだ。
契約を結んだあと、浩一は、三人の借地人に、手紙で事情を説明した。今後は、浩一が受託者として、地代の受領や承諾などを行うこと。窓口が変わっても、これまでの契約の内容は変わらないこと。借地人たちは、安心した様子で受け入れてくれた。「息子さんが窓口なら、安心です」と、ある借地人は話した。
一年後、借地人の一人が、建替えを計画した。浩一は、受託者として、契約の内容を確認し、建替え承諾書に署名した。承諾料も、信託の口座で受け取った。正三の判断力が少し落ちてきていたが、手続きは滞らなかった。借地人は、予定どおり着工でき、何度も礼を言って帰っていった。
信託は、万能ではない。認知症になる前でなければ、契約を結べない。費用もかかる。正三が亡くなったあとの底地を誰が引き継ぐかも、信託契約や遺言で決めておく必要がある。受託者の浩一の負担が重くなるため、専門家に定期的に相談する体制も、整えておきたい。
正三は今、こう話している。地主が元気なうちに、管理の仕組みを決めておけば、借地人も家族も困らない。底地を持つ人は、早めに、専門家に相談しておくことだ、と。
学びのボックス
| 家族信託の基本 | 委託者(地主)が受託者(子など)に底地を託し、受託者が信託契約の目的に沿って管理する。今回は委託者と受益者が同じ自益信託の形。 |
| 認知症で止まる手続き | 地主本人の意思確認が難しくなると、更新契約や建替え承諾の判や承諾料の受領が止まり、借地人も困るおそれがある。 |
| 権限の書き方が重要 | 地代の受領、更新契約、建替えや増改築の承諾、承諾料の受領、売却の可否などを、信託契約に具体的に書く必要がある。 |
| 受託者の義務 | 信託財産は自分の財産と分けて管理し、専用口座や帳簿を整える。借地人には、受託者が窓口になることを伝えておく。 |
| 限界と注意点 | 認知症になる前でなければ契約できない。費用もかかる。相続後の引継ぎも決めておく。進める前に、司法書士や弁護士へ相談したい。 |




