『建物買取請求権の行使』時価評価の決め手とトラブル解決
岡崎誠は、三十五年前に建てた木造二階建ての自宅で暮らしてきた借地人だった。借地契約の期間満了が近づいたころ、地主の岩田さんから、更新はしないと告げられた。岩田さんには、土地を自分の家族のために使う具体的な計画があり、誠は話し合いの末、更新が認められない状況を受け入れざるを得なくなった。長年住んだ家をどうするか、誠は頭を抱えた。
誠は弁護士に相談した。「借地権の期間が満了し、契約が更新されない場合、借地人は、地主に対して、建物を時価で買い取るよう請求することができます。これが建物買取請求権です。この権利は、借地人が一方的に意思表示をすれば、地主の承諾がなくても、建物の売買契約が成立するという強い効力を持っています」。誠は、取り壊して更地にして返すしかないと思い込んでいたため、この説明に驚いた。「ただし、この権利が使えるのは期間満了で借地権が終わる場合です。地代の滞納などで契約を解除された場合には認められません」と弁護士は付け加えた。誠は、地代を一度も滞らせたことがなかったため、この点では問題がなかった。
誠が買取請求権を行使すると、岩田さんは強く反発した。「築三十五年の木造住宅なんて、ほとんど価値がないでしょう。取り壊す費用がかかる分、むしろ引き取りたくないくらいです」。金額をめぐって、二人の主張は大きくかけ離れた。誠は、建物の価値をどう考えればよいのかを、弁護士に尋ねた。弁護士は、地主が将来取り壊す予定だからといって、その解体費用が当然に代金から差し引かれるわけではないことも、あわせて教えてくれた。
「買取請求の『時価』は、建物を取り壊す前提ではなく、建物が現にその場所に建っている状態を前提に評価します。一般的には、いま同じ建物を建て直した場合にかかる費用から、築年数に応じた減価を差し引いて算出するのが基本的な考え方です。加えて、その建物がその場所に存在していることによる『場所的利益』も考慮されます。ただし、借地権そのものの価格とは区別されます」。弁護士はそう説明した。
築年数の影響についても、弁護士は注意点を教えてくれた。「木造住宅の税務上の耐用年数は二十二年とされていますが、これは減価償却のための数字です。実際の評価では、建物の維持状態が重視されます。定期的に修繕やリフォームをしてきた建物は、築年数のわりに価値が残ると判断されることがありますし、逆に傷みが進んでいれば、大きく減価されます」。誠は、これまでの手入れの記録が、思わぬ武器になることに気づいた。
誠は、屋根や外壁の塗り替え、水回りのリフォームの領収書や、工事の図面を、家の中から探し出した。弁護士の勧めで、不動産鑑定士に依頼して、建物の評価額を算定してもらった。鑑定書には、築年数だけでなく、修繕の履歴や現在の状態が丁寧に反映されていた。
一方、岩田さん側も別の不動産業者に査定を依頼しており、評価額は誠側の鑑定を大きく下回っていた。弁護士は、両者の評価の違いを整理した。誠は、「代金が支払われるまでは建物を明渡さずにいられるが、その間は土地を使う分の地代相当額の負担が生じる場面もある」という説明も受けた。長引けば、双方に不利益があることを理解し、誠は譲歩できる点を考えた。
何度かの協議を経て、二つの評価額の中間に近い金額で、双方が合意した。誠は代金を受け取り、約束の日に建物を引き渡した。
この経験を通じて誠は、建物買取請求権は、期間満了で更新が認められなくても借地人を守る大切な権利であることを学んだ。同時に、建物の価値は築年数だけで決まるものではなく、日頃の維持管理と、その記録を残しておくことが、交渉を左右することも理解した。受け取った代金で、誠は近くのマンションを購入し、新しい暮らしを始めている。
学びのボックス
| 建物買取請求権とは | 期間満了で契約が更新されない場合、借地人は地主に建物を時価で買い取るよう請求できる。借地人の一方的な意思表示で売買契約が成立する強い権利。 |
| 使えない場合の注意 | 地代の滞納など借地人の債務不履行で契約を解除された場合には、この権利は認められないとされる。 |
| 「時価」の考え方 | 建物を取り壊す前提ではなく、現にその場所に建っている状態を前提に評価する。再調達費用から築年数に応じた減価を差し引くのが基本で、場所的利益も考慮される。借地権そのものの価格とは区別される。 |
| 耐用年数と維持状態の影響 | 税務上の耐用年数は減価償却のための数字で、実際の評価では維持状態が重視される。修繕・リフォームの記録が価値を左右する。 |
| 交渉の進め方 | 修繕の領収書や図面を揃えて不動産鑑定士の評価を得たうえで、双方の評価の違いを整理し、長引く不利益も踏まえて協議で合意点を探る。 |




