[学ぶ・知る]『建て替えの承諾』をもらえない時の裁判所
「もう何年もお願いしているのに、地主さんが首を縦に振ってくれないんです」 借地に築四十二年の木造家屋を持つ遠藤秀樹(五十四歳)が弁護士の村井先生を訪ねたのは、ようやく決意が固まった秋口のことだった。 遠藤家の実家は屋根が傷み、冬には隙間風が入る。耐震診断では「倒壊の危険あり」という評価も出ていた。建て替えを地主の古川家に申し出たのは三年前。しかし古川家の当主・古川道雄(七十一歳)は「今は建て替えの話は受けられない」の一点張りで、理由も示さないまま時間だけが過ぎていた。 「もう待てません。裁判所に行く方法があると聞きましたが、どういうことになりますか」
「借地非訟」という制度
村井先生は手続きを説明した。 「借地借家法一七条に基づく『借地非訟』という手続きがあります。地主が正当な理由なく建て替えの承諾を拒む場合、借地人は裁判所に『地主の承諾に代わる許可』を申立てることができます」 「訴訟とは違うんですか」 「訴訟ではなく非訟事件として処理されます。当事者の対立を裁判で決着させるのではなく、裁判所が後見的に判断を下す手続きです。通常の訴訟より手続きが簡易で、審理も比較的速い。ただし弁護士への依頼は事実上必要です」 「期間はどれくらいかかりますか」 「申立てから決定まで、平均的には六ヶ月〜一年程度が目安です。鑑定委員会の意見聴取が必要な場合はもう少しかかることもあります。ただし地主が積極的に争う姿勢を示さなければ、それより早く決定が出ることもあります」
申立てから決定までの流れ
村井先生は手続きの流れを図解してくれた。 まず借地所在地を管轄する地方裁判所に申立書を提出する。申立書には建て替えを必要とする理由(老朽化・耐震性の問題など)、建て替え後の建物の概要(構造・規模)、地主への承諾申入れの経緯を記載する。 受理後、裁判所は地主に意見を求める。地主が異議を述べれば審問が開かれ、鑑定委員会(不動産の専門家で構成)が土地の状況・建て替えの相当性について意見を述べる。 裁判所はこれらを踏まえて「承諾に代わる許可」を出すかどうかを判断する。許可が出る場合、同時に地主への「承諾料(財産上の給付)」の支払い命令も出されることが多い。 「承諾料は建て替え承諾の場合と同じような相場になりますか」と遠藤は尋ねた。 「裁判所が鑑定等をもとに相当額を決定します。交渉での承諾料より低くなることも高くなることもあります。ただし地主の一方的な高額要求には縛られないのが、申立ての大きなメリットです」
費用の現実と戦略的判断
「費用はどれくらいかかりますか」 「弁護士報酬として着手金十五万〜三十万円程度、成功報酬が別途かかることが多いです。裁判所への申立て費用は数千円〜数万円程度です。鑑定委員会が関与する場合は鑑定費用も発生します。合計で五十万〜百万円前後を見ておくのが現実的です」 「高いですね」と遠藤は言った。 「ただし、これを承諾料の削減効果と比較してください。地主との直接交渉で仮に百五十万円の承諾料を求められていた場合、申立てによって裁判所が七十万円と決定すれば、差額八十万円の節約になります。弁護士費用を差し引いても、申立ての方が経済的に有利になることは少なくありません」 遠藤はその計算を理解した。そして何より、三年間待ち続けた時間の重さを思い返した。「やります。申立てを進めてください」
八ヶ月後の決定
申立てから八ヶ月後、地方裁判所は「建て替えを許可する。借地人は地主に対して九十万円を支払うこと」という決定を下した。 古川道雄は即時抗告(不服申立て)を検討したが、弁護士から「認められる可能性は低い」と説明を受け、最終的に決定を受け入れた。 遠藤は建築会社と契約し、翌春には新しい家が完成した。 「三年間の停滞が、申立てから一年以内に動いた」と遠藤は村井先生に言った。「最初から動いていれば、もっと早く解決できていた」 「地主との関係は多少傷つきましたが、命と生活の安全が最優先です」と村井先生は言った。「借地非訟は、地主の不合理な拒絶から借地人を守るための制度です。必要なときには、躊躇なく使うべき権利です」 借地非訟は最後の手段ではなく、必要な場面での正当な権利行使だ。地主が動かないなら、裁判所が動く——その事実を知っておくことが、借地人の最大の力になる。
[学びのボックス]借地非訟の手続きと実務ポイント
| 借地非訟とは | 地主が不当に建替え・譲渡・転貸の承諾を拒む場合に、借地人が裁判所に「地主の承諾に代わる許可」を申立てる手続き(借地借家法17条・18条)。訴訟ではなく非訟事件として処理される。 |
| 申立てから決定までの期間 | 平均的に6ヶ月〜1年程度。鑑定委員会の意見聴取が必要な場合はさらにかかることがある。地主が積極的に争わなければ短縮される可能性もある。 |
| 費用の目安 | 弁護士報酬(着手金15〜30万円+成功報酬)+申立費用(数千〜数万円)+鑑定費用。合計50万〜100万円前後が目安。承諾料の削減効果と比較して経済的合理性を判断する。 |
| 裁判所が決める承諾料 | 許可決定と同時に地主への「財産上の給付(承諾料)」が命じられることが多い。金額は裁判所が鑑定をもとに相当額を決定する。地主の一方的な高額要求には縛られない。 |
| 申立て前に交渉を尽くす | 借地非訟は地主との関係を悪化させるリスクがある。弁護士を通じた書面交渉を十分に行ったうえで、最終的な手段として申立てに踏み切ることが実務上の原則。 |




