『親族間での無償の土地利用』使用貸借の罠
田中拓也は、二十年前に父から「好きに使っていいぞ」と言われ、実家の敷地の隅にある空き地に自宅を建てて暮らしてきた。地代は一度も支払ったことがなく、固定資産税も父が負担してくれていた。拓也にとっては、当たり前のようにこの土地に住み続けられるものだと、これまで深く考えたことがなかった。妻や子供たちも、この家をずっと自分たちの終の棲家だと信じて疑わなかった。
状況が一変したのは、父が急逝した後だった。相続人は拓也と、都会で暮らす姉と妹の三人。遺産分割の話し合いの中で、姉が思いがけないことを口にした。「拓也の家が建っている土地も、当然遺産の一部よね。私たちにも権利があるんだから、地代を払うか、それが嫌なら出て行ってもらうしかないんじゃない」。拓也は耳を疑った。まさか自分が長年住んできた土地について、そんなことを言われるとは想像もしていなかったのだ。
拓也は慌てて司法書士に相談した。「父からは口約束でこの土地を使わせてもらっていただけで、契約書のようなものは何もありません。こんな状態でも、土地を守ることはできますか」。司法書士の答えは、拓也にとって厳しいものだった。「地代を支払わずに土地を借りている関係は、法律上『使用貸借』と呼ばれ、対価を伴う『賃貸借』とは大きく異なります。借地借家法が適用されるのは賃貸借の場合であって、使用貸借にはその保護が及びません」。
「賃貸借であれば、正当事由がなければ地主から契約を終了させることはできませんし、更新の保障もあります。しかし使用貸借の場合、貸主が亡くなり相続人がその地位を承継すると、期間の定めがない使用貸借であれば、相続人はいつでも返還を請求できるとされています。お父様が亡くなった今、お姉様たちがその返還請求権を持っていると考えられます」。拓也は、無償で借りていたことの意味を、これほど重く突きつけられるとは思っていなかった。血縁関係があるからこそ安心しきっていた自分の甘さを、思い知らされる出来事だった。
司法書士はさらに、「ただし、使用貸借であっても、契約の趣旨や経緯によっては、直ちに返還請求が認められない場合もあります。例えば、住居として長期間使用することが前提とされていた事情があれば、それを踏まえた判断がなされる余地はあります」と付け加えた。拓也は、父が生前に交わしていたメールや、家を建てる際に父から出してもらった資金援助の記録などをかき集め、住居として長く使うことが最初から了解されていた経緯を整理した。
拓也は姉と妹に対して、これらの資料を示しながら、これまでの経緯と今後もこの家に住み続けたいという思いを丁寧に伝えた。感情的にならず、事実を淡々と積み上げて説明したことが功を奏し、話し合いの末、姉と妹は拓也の事情を理解し、拓也がこの土地を単独で相続し、その代わりに預貯金の取り分を減らす形で遺産分割に応じることになった。
この経験を通じて拓也は、無償で借りているというだけの関係が、いかに不安定な立場に置かれるものかを痛感した。家族間だからと油断せず、将来を見据えて権利関係を書面にしておくことの大切さを、拓也は身をもって学んだ。相続登記を終えた後、拓也は妻とともに姉と妹を自宅に招き、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。以来、盆や正月には家族全員で顔を合わせる機会も増え、あの一件が却って家族の距離を縮めるきっかけになったと、拓也は今では感じている。
学びのボックス
| 使用貸借と賃貸借の違い | 地代の支払いがない土地利用は「使用貸借」、対価を伴う利用は「賃貸借」として法律上区別され、借地借家法は賃貸借にのみ適用される。 |
| 使用貸借に借地借家法の保護は及ばない | 更新の保障や正当事由による解除制限といった賃貸借の強い保護は、使用貸借には適用されない。 |
| 貸主死亡後の返還請求権 | 期間の定めのない使用貸借は、貸主が亡くなり相続人がその地位を承継すると、相続人がいつでも返還を請求できるとされている。 |
| 返還請求が制限される可能性 | 住居として長期間使用することが前提とされていた事情があれば、直ちに返還請求が認められないと判断される余地もある。 |
| トラブルを防ぐには | 家族間であっても、資金援助の経緯や利用目的を記録・書面化しておくことで、将来の権利関係のトラブルを防ぎやすくなる。 |




