ものがたりで底地借地を学ぶ知るシリーズ
やっと土地が返ってくる——そう思っていた
西田誠一(67歳)は、父の代から続く借地契約にずっと頭を悩ませてきた。
問題の土地は東京郊外の住宅地、約80坪。借地人の松本富夫(74歳)は35年前から古い木造家屋に住み続けており、地代は周辺相場より明らかに低いまま据え置かれていた。誠一は五年前に父から底地を相続して以来、「いつかこの土地を整理したい」と考え続けてきた。
転機が訪れたのは昨年秋だった。松本の借地権の存続期間が満了するタイミングで、誠一は弁護士に相談のうえ、正式に更新拒絶の通知を送った。「自己使用の必要性」と「相応の立退料の提供」を理由として、法的に正当事由が認められる可能性があると判断してのことだった。
「これで土地が戻ってくる」——誠一の胸に、久しぶりに明るい見通しが広がった。
届いた一通の内容証明
ところが通知を送ってから三週間後、誠一のもとに一通の内容証明郵便が届いた。差出人は松本富夫の息子、松本健司(47歳)だった。
「借地借家法第13条に基づき、本件建物を時価にて買い取るよう請求いたします」
誠一はすぐに弁護士に電話した。「これは何ですか?」
弁護士の回答は簡潔だった。「建物買取請求権です。借地契約が終了する際、借地人は建物を時価で買い取るよう地主に請求できる。地主の同意は不要で、この請求が届いた瞬間に売買契約が成立したとみなされます」
誠一は言葉を失った。「成立した? 私は何も合意していませんが」
「それが形成権の特徴です。相手方の承諾なしに、一方的な意思表示だけで法律関係が変わる。今あなたはその建物を買い取る義務を負った状態にあります」
時価という名の現実
問題は金額だった。築35年の木造二階建て。誠一の感覚では「ほとんど価値がない廃屋同然」のはずだった。
ところが不動産鑑定士が算出した時価は780万円だった。
建物単体の価値だけを見れば確かに低い。しかし借地借家法上の「時価」は、建物の経済的価値のみならず、その建物が存在することで借地人が享受していた利益も考慮される場合がある。また、立地の良さが建物価値を下支えしていた。
「780万円……」誠一は自分の計算が根本から崩れたことを悟った。更新拒絶のために提示した立退料の見積もりは200万円だった。実際に支払う額は、その四倍近くになった。
弁護士に確認すると、「納得できない場合は裁判所に時価の判断を求めることもできますが、大きく変わる保証はない」とのことだった。
形成権という「見えない武器」
誠一が最も悔やんだのは、この権利を事前に知らなかったことだった。
建物買取請求権は、借地人を守るために設けられた強力な法的手段だ。借地契約が終了しても、借地人が自ら建てた建物を「ただ取り壊せ」と言われないための制度であり、正当事由があって更新が拒絶された場合でも、借地人はこの権利を行使できる。
唯一の例外は、借地人自身が契約に違反した場合——たとえば無断で建物を転貸したり、無断で増改築した場合などだ。しかし松本富夫にそういった契約違反の事実はなかった。
「最初から建物買取請求権を想定したうえで、立退料の交渉をすべきでした」と弁護士は言った。「正当事由の主張にばかり力を入れて、その先のシナリオを考えていなかった」
誠一は結局、780万円を支払って建物を取得した。解体費用を含めると総額は1,000万円を超えた。一方で更地になった土地は想定以上の価格で売却でき、最終的には利益が出た。しかし「もっと早く正確に知っていれば」という後悔は消えなかった。
地主が知っておくべき「出口戦略」
後日、誠一は同じ境遇の地主仲間に自分の経験を話した。「更新拒絶は始まりに過ぎない。建物買取請求権という最後の関門が待っている」
借地契約の出口を考えるとき、地主は二つのことを同時に想定しなければならない。正当事由が認められるかどうか——そして認められた後、建物買取請求権を行使された場合にいくら必要か。
形成権は「見えない武器」だ。振りかざされて初めて、その重さに気づく。誠一の経験は、契約終了の前に専門家とシナリオを描くことの重要性を、静かに、しかし強く教えていた。
【学びのボックス:借地の境界トラブルと筆界特定制度】
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ポイント |
内容 |
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建物買取請求権とは |
借地契約終了時に、借地人が地主に対して建物を時価で買い取るよう請求できる権利(借地借家法13条) |
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形成権の特徴 |
地主の承諾は不要。借地人が意思表示するだけで売買契約が成立する一方的・強力な権利 |
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時価の算定 |
建物の築年数・状態・立地等を考慮した客観的な時価。当事者の合意がない場合は裁判所が判断 |
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行使できないケース |
借地人が契約違反(無断転貸など)で契約解除された場合は、建物買取請求権を行使できない |
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地主の対策 |
①正当事由を慎重に検討する ②建物老朽化を記録しておく ③更新拒絶前に専門家へ相談 |




