『事前の地主承諾なし』で借地権の売買契約を結んだ場合の違約金と追認
中村健司は、六十八歳。三十年以上住み続けた借地上の家を売って、子どもの近くのマンションに移ろうと決めた。買い手は、不動産会社の紹介で見つかった山口さん夫婦。借地権付きの建物を三千万円で売る話がまとまり、売買契約を結ぶことになった。契約書には、地主の承諾を得ることを停止条件とし、期限は二か月、承諾が得られなければ契約は白紙に戻り、手付金は返還する、という特約が入っていた。
健司は、契約書を見てほっとした。あとは、地主の吉岡さんから承諾の判をもらうだけだ。契約を急いだのは、山口さん夫婦が早く話を進めたがっていたからでもあった。長年地代を滞りなく払ってきたし、断られることはないだろう。そう楽観して、契約書の写しを持ち、翌日、吉岡さん宅を訪ねた。「売買契約を結びました。承諾の判をお願いします」。
吉岡さんの表情が、みるみる険しくなった。「何の相談もなく、いきなり契約して、判だけ押せと言うのか」。吉岡さんは、買主がどんな人かも、いつ売るつもりなのかも、何も聞かされていなかった。健司が謝っても、吉岡さんは「今日は話にならない」と、玄関先で追い返した。健司は、期限の二か月が、重くのしかかるのを感じた。家に帰っても、買主に何と説明すればよいのか、考えがまとまらなかった。
健司は司法書士に相談した。司法書士は、順序が逆だったことを、率直に指摘した。「地主さんの承諾は、本来、売買の話を具体的に進める前に、相談しておくのが筋です。条件付きとはいえ、契約を結んだ後に判だけ求めれば、気分を害される地主さんも多いでしょう。ただ、停止条件付きの契約なので、承諾が得られるまでは、譲渡の効力は生じません。すぐに契約違反になるわけではありません」。
司法書士の助言で、健司は、あらためて吉岡さんを訪ねた。今度は、謝罪から入った。買主の人柄、職業、家族構成、建物の使い方を、資料にまとめて説明し、承諾料の支払いも検討していると伝えた。借地権の譲渡の承諾料は、借地権価格の一割前後が目安とされる。ところが吉岡さんは、「そんな金額では納得できない」と、なかなか首を縦に振らなかった。
期限が迫る中、司法書士は、次の手を提案した。地主の承諾が得られない場合は、裁判所に借地非訟として、譲渡の許可を申し立てる方法がある。裁判所が、借地権の譲渡によって地主に不利益がないと判断すれば、承諾に代わる許可が出る。その際、承諾料にあたる財産上の給付が、裁判所によって定められる。ただし、地主が自分で借地権を買い取る意思を示せば、優先的に買い取る手続きもある。
健司は、買主の山口さんに事情を説明し、停止条件の期限を延長する合意書を交わした。そのうえで、申立ての準備を進めた。申立ての話を聞いた吉岡さんは、態度を少し変えた。裁判になれば、自分の意見も十分に述べられるが、時間も手間もかかる。結局、吉岡さんは、承諾料として約二百六十万円を受け取り、買主に直接会ったうえで、譲渡を承諾することに同意した。
売買は無事に成立し、手付金の返還も、違約金の支払いも、必要にならなかった。手続きの間、買主の山口さん夫婦も辛抱強く待ってくれた。健司は、地主への相談の順序が、すべてを左右することを思い知った。借地権を売るときは、まず地主に事情を話し、その後に契約を進めるのが基本だと、健司は今は考えている。承諾が得られなくても、借地非訟という道があることを知っていれば、慌てずに済む。
学びのボックス
| 停止条件付きの売買契約 | 地主の承諾を得ることを停止条件とする契約は、承諾が得られるまで譲渡の効力が生じない。承諾が得られなければ白紙解約とする特約が一般的。 |
| 地主への相談の順序 | 地主の承諾は、売買の話を具体的に進める前に相談するのが筋。契約後に判だけ求めると、地主の心証を損ない、交渉がこじれやすい。 |
| 承諾料の目安 | 借地権の譲渡承諾料は、借地権価格の1割前後が目安とされる。買主・売主のどちらが負担するかは、契約で決めておく。 |
| 借地非訟への切り替え | 地主が承諾しない場合、借地権者は裁判所に譲渡許可を申し立てられる。裁判所は許可とあわせて、承諾料にあたる財産上の給付を定める。 |
| 期限と書面の管理 | 停止条件の期限が迫ったら、買主と期限延長の合意書を交わす。違約金や手付金の扱いも契約書で明確にしておく。 |




