『筆界特定制度』境界杭がない底地・借地の境界線を法務局でスピード確定
武内稔は七十一歳。四十坪の底地を、四十年以上、借地人の川口さんに貸している。体力に自信がなくなり、子どもたちに負担を残したくないと考えた稔は、川口さんに底地の買取りを持ちかけた。川口さんも前向きで、価格の話はまとまった。長年の地代を思えば、川口さんにとっても、底地を手に入れる良い機会だった。ところが、売買を進める段階で、問題が持ち上がった。隣地との境界杭が、どこにも見当たらなかったのだ。
司法書士は、念を押した。「底地を売るには、隣地との境界を明らかにして、境界確認書を作っておくのが普通です。買主さんが住宅ローンを組むときにも、必要になります」。稔は、土地家屋調査士に測量を依頼した。調査士は、隣地の所有者である石川さんに、境界の立会いをお願いする手紙を出した。
数日後、石川さんから返事が来た。「境界は昔から、ブロック塀のところと決まっている。今さら立会いも、書類への署名も、するつもりはない」。調査士が何度か訪ねても、石川さんの態度は変わらなかった。「余計なことをするな」と、玄関先で門前払いにされたこともあった。測量の結果、ブロック塀は、図面上の線より、約三十センチ、稔の土地側にはみ出している可能性があった。
稔は、頭を抱えた。隣人との争いなど、したくなかった。しかも、売買の期日は、三か月後に迫っていた。境界を確定する訴訟を起こすと、時間も費用もかかる。一般に、数年かかることもあり、弁護士費用もかさむ。調査士は、別の方法を教えてくれた。「法務局に、筆界特定制度があります。筆界とは、登記上の土地の境界のことです。隣の方が協力してくれなくても、公的な判断をもらえます」。
制度の仕組みは、こうだ。土地の所有権の登記名義人が、法務局に申請する。借地人は、原則として、申請できない。申請を受けた法務局の登記官が、外部の専門家である筆界調査委員の意見を聞き、現地の調査や関係者の意見聴取、資料の検討を行って、筆界の位置を特定する。隣地の所有者が非協力的でも、手続きは進められる。稔は、調査士に申請書類の作成を頼んだ。申請書には、土地の図面や、これまでの経緯をまとめた資料を添えた。
申請の手数料は、土地の価額に応じて決まる。測量などの実費は、別に必要だった。稔は、手数料と実費を合わせて、約六十万円を用意した。法務局では、関係者の意見を聞く機会が設けられ、石川さんも、意見を述べた。稔は、同席した調査士と、静かに様子を見守った。調査委員は、古い公図や測量図、周辺の土地の位置関係を、丁寧に調べた。申請から、結論までは、約八か月かかった。
筆界特定の結果が出た。ブロック塀は、特定された筆界より、約三十センチ、稔の土地にはみ出していた。石川さんは、公的な判断を前に、態度を改めた。数日後、自ら稔に電話をかけてきた。稔は、塀の越境について、石川さんに感情的な要求をせず、塀の扱いについて話し合うことにした。結局、将来の建て替え時に、塀を後退させる覚書を取り交わした。
筆界特定書は、境界の資料として使える。ただ、筆界特定は、所有権の範囲を決める制度ではなく、不服があれば、裁判で争う余地は残る。稔は、そのことも、調査士から説明されていた。川口さんには、売買の延期を詫びて、事情を説明した。底地は無事に川口さんに売却でき、境界の問題も整理できた。稔は今、境界の曖昧な土地を売る前に、筆界特定制度を検討するよう、地主仲間に勧めている。
学びのボックス
| 筆界特定制度とは | 登記上の土地の境界(筆界)の位置を、法務局の登記官が筆界調査委員の意見を踏まえて特定する制度。裁判より簡易・迅速とされる。 |
| 申請できる人 | 土地の所有権の登記名義人など。借地人は申請できないため、底地の所有者である地主が申請する。 |
| 隣人が非協力でも進む | 隣地所有者が立会いを拒否しても、調査や意見聴取は進められる。手続きの期間は、事案により数か月から1年程度が目安。 |
| 費用の考え方 | 申請手数料は土地の価額に応じて決まり、測量などの実費が別に必要になる。訴訟に比べて、費用と期間を抑えやすい。 |
| 制度の限界 | 筆界特定は所有権の範囲を確定するものではなく、不服があれば裁判で争える。越境がある場合は、覚書などで別に整理する。 |




